多様性(ダイバーシティ)について

唐突ですが…

私は牛乳やチーズなど乳製品全般が苦手です。
口にすると、体が拒絶しているのか全て吐き出してしまいます。
今ではピザ程度なら食べる事ができますが、チーズだけのトッピングや匂いのきついチーズを使ったピザは今でも食べる事ができません。

私の世代では如何なる理由があろうとも残さず給食を食べる事が美徳とされていたので、担任も私が牛乳を飲まないのを問題視して様々な施策を打ち出してきました。
帰りの会で問題提起されて責められるのは日常茶飯事。
私が牛乳を飲むまで給食の時間を延長するという仕打ちも受けました。当然、巻き込まれたクラスメイトからは批判の嵐です。
放課後に一人で居残りさせられ、牛乳を飲むまで帰宅できませんでした。
頑なに拒否し続ける私に立腹した担任によって、頭から牛乳をかけられた事もありました。

結果として、担任の取った行動は誰ひとりとして幸せにする事はできず、クラスに暗い影を落としただけでした。

マジョリティとマイノリティ

どうしてこのような事を書いたのかと言うと、この記事を読んで、LGBTの方々の悩みの根幹は恐らく私の悩みと同じではないかと思ったからです。

withnews.jp

ごく一般的な人たちの事を「マジョリティ」と言います。
それに対し、マジョリティの考え方と一致しない少数派の人たちの事を「マイノリティ」と呼びます。
私のように乳製品が苦手な人も、LGBTの人たちも、マイノリティというわけです。

マジョリティとマイノリティは、お互いに相容れられないケースは少なくありません。何故なら、相手の考え方が自分とは対極的過ぎて理解し難いからです。

「どうして乳製品を食べないの?」
「牛乳だってチーズだって美味しいのに!」
「もっと美味しい牛乳だったら飲めるでしょ?」

このエントリの冒頭を読んだあなたは、真っ先にそう考えましたよね。

そうなのです。
この程度の事でさえ自分の定規で物事を考えてしまうように、マジョリティには「マイノリティの視点に立って考える」という考え方が欠落しがちなのです。
だから、マジョリティとマイノリティが相容れるのはそんなに容易な事ではないのです。

多様性に必要なこと

私は乳製品が苦手ですが、乳製品を好む人たちの事を否定したりはしませんし、乳製品が苦手な私の事を理解して欲しいとは望んでいません。 ただ、乳製品を克服する事を私に強要して欲しくはないのです。

LGBTで苦労している人たちもまた、私と同じような思いなのだと思います。 理解してもらえるに越した事はないが、自分たちの存在を否定されたくないと思っているのではないでしょうか。

LGBTだけでなく、人種、国籍、宗教、職業など、様々な要素で差別や迫害を受けている人たちがいます。
「お互いに理解し合う」という行動も大切だとは思いますが、永遠に平行線で理解し合えない事だって沢山あるでしょう。 そんな状況になった時、理解できない物を排除するのではなく、「理解できない」という状態の存在を認め、共存を模索するという事が大切なのだと私は思います。